半信半疑は健全である

一つ前の項目を読む
次の項目を読む
SRS速読法とは」
のリストに戻る
HP表紙に戻る
 先の体験談に、「この講習での一番最初で一番大きな感動は、先生の『疑いを超えろ』という言葉だった」とある。速読に興味はあるものの、その学び初めには「半信半疑」の人が多い。体験がない人がそういう状態にあるのは健全なことである。しかし、訓練を始めたからには、その段階を速やかに超えるのが望ましい。そこで私は、疑問には感情的な疑問と知的な疑問との二種類があることをまず知ってもらうことにしているのだ。
 感情的な疑問とは、「速読って本当にできるの?十倍の速度で読んで本当に理解できるの?」という問い方をするものだ。一般に、感情的な疑問は物事の解決には役立たないで、むしろ直面する問題から遠ざかる口実に役立ったり、固定観念の強化に役立つことが多い。つまり感情的な疑問は、「そんなことできるはずないじゃないか」という否定的な反応と隣接して発生していることが多いのだ(人を疑うということはそういうことだ)。
 それに対して、「もし十倍の速度で速読ができるとしたら、そのときの内面の知的作業はいったいどうなっているのだろうか。そのような能力を得るには、どういう訓練をすればよいのだろうか」という問い方をするのが知的な疑問というものだ。知的な疑問は、問題のありかを明確にして、ものごとを効率よく解決することに役立つ。
 過去の人類は空を飛ぶ鳥を見て、「どのようにしたら空を飛べるのだろうか」と知的に問いかけることを通じて、飛行機を発明した。「どのようにしたら宇宙旅行ができるのだろうか」と知的に問いかけることを通じて、宇宙船を創りだした。「病気とはいったい何だろうか。それはどのようにしたら克服できるのだろうか」と知的に問いかけることを通じて、さまざまな病因を突き止めて、医薬品や医療の技術を見出してきたのだ。人類の進歩、発明、発見はすべて知的な疑問のおかげて誕生したものばかりである。
 それに対して、「空なんか飛べるわけがない」「月になんか行けるわけはない」「病気なんか直るわけがない」と言う感情的な反応を持つ人々からは何も生まれなかったのだ。
 読者の皆さんも、自分がどちらの種類の疑問を持ちやすい人間かを反省するとよいであろう。もし皆さんの中に感情的な疑問があるならば、それは速読を学ぼうとする意志と矛盾しているから、速読のメカニズムや速読の訓練法を探求するための知的な疑問に速やかに切り替えてもらいたい。私自身の例で言えば、大学生のときに「さすがに芥川は読書が速いんだな。やはり天才と言われただけのことはある」と素直に感心したことがなぜ今にして悔やまれるかおわかりだろうか。もしそのときに「感心」などしていないで「芥川の読書と自分の読書のシステムの違い」を知的に探求できたら、その場で速読ができていたに違いないのだ。感情的な反応は物事を遅らせるという生きた実例をここで学んでほしい。